ローマ最後の王であるタルクィニウスは、五代王のタルクィニウス・プリスコの孫にあたる。ローマの王位は世襲ではないため、彼がローマ王の座に着くにはその実力を市民と元老院に認められる必要があった。ならば、七代王タルクィニウスは市民と元老院に認められたのか?
答えは否である。
話は五代王タルクィニウス・プリスコの時代に戻る。彼には二人の子供がいたが、一人は養子として迎え入れていたエトルリア人の少年セルヴィウス・トゥリウスであった。この少年は成長するにつれ、優秀さを如何なく発揮し、タルクィニウス・プリスコも彼を後継者と定めて自分の娘の婿とした。
この状況を危惧し、恐れたのは四代王アンクスの実子二人であった。彼らはローマ王位を狙っていたが、現王の養子で今となっては娘婿でもあるセルヴィウスが、現王の推薦を持って王位に立候補したら勝ち目がないと判断した。
権力を志向する若者が焦った結果、起きた事態は現王の暗殺であった。
アンクスの実子たちは暗殺者を雇い、タルクィニウスの襲撃に成功したが、タルクィニウスの妻の差配によって王の死は隠匿されてしまう。王の傷が癒えるまでの間、タルクィニウスの養子セルヴィウスが政務を代行する旨が市民に発表され、王の死が告知された時には、市民と元老院は彼の養子セルヴィウス・トゥリウスが新王となることに賛成するようになっていた。
かくしてアンクス王の実子たちはローマにいられなくなり、他国へと亡命する。
その後、六代王セルヴィウスの治世も44年に渡り、都市国家ローマをより強大化させていく。そして彼もまた王位を狙う力に襲われることになる。
セルヴィウスには、二人の娘がいた。彼は自らの政治基盤を安定化させるため、兄弟として育てられていた五代王の実子の息子二人を、娘たちと娶わせた。その際、勝気な性格の王女を穏健な従兄弟に、心優しい王女を野心家の従兄弟と組み合わせた。その結果は悲劇となってしまった。勝気な王女は穏健な夫を裏切り、野心家の従兄弟と共謀してしまう。
互いの配偶者はやがて亡くなり、残された二人は再婚する。王女トゥーリアとタルクィニウス。この二人は、権力への暗い野心を赤い約束の絆として強く結びつき、やがては王政ローマを亡国へ導く事となる。
■登場人物(ローマの王たちと血族)
・ロムルス
都市国家ローマの建国王。
・ティトゥス・タティウス
サビーニ人の王。ロムルスの共同王としてローマに
迎え入れられたが、直ぐに亡くなった。
・ヌマ
サビーニ人の賢人。ローマの二代王。
・トゥルス・ホスティリス
ラテン人。ローマ三代王。
・アンクス・マルキウス
サビーニ人。ヌマの孫でもある。ローマの四代王。
・タルクィニウス・プリスコ
エトルリア人。ローマの五代王。
・セルヴィウス・トゥリウス
エトルリア人。タルクィニウス・プリスコの養子でローマの六代王。
・ルキウス・タルクィニウス
エトルリア人。タルクィニウス・プリスコの孫で、
セルヴィウス・トゥリウスの娘婿。
・王女トゥーリア
エトルリア人でセルヴィウス・トゥリウスの娘。
タルクィニウス・プリスコの孫と結婚したが、死別し、
同じ孫のルキウス・タルクィニウスと再婚する。
第1章:シチリア騒乱 第3話
Author: 遼進 /第1章:シチリア騒乱 第2話
Author: 遼進 /
市民権が与えられるということは、私有財産の保持し、市民集会に対する投票権含め、ローマ市民と同じ権利を持つことである。つまり、ローマ市民となる事を意味する。サビーニ人の長老達には元老院の議席も与えられたのだから、もはや双方の扱いに違いなどなかった。
この時代、戦争に勝利した側は、相手の都市を略奪し、敗者を奴隷にすることは当然の権利でもあった。それ故、この処置は異質と言える。しかし、当時のローマが置かれた情勢を考えれば、弱小国家の勢力拡大の為のやむない選択であったといえる。
だが、ローマは以後もこの方針をとり続け、結果、ローマは強大化し続けていく事となる。
建国王ロムルスの没後、ローマの王権は元老院内のラテン人派閥とサビーニ人派閥によって争われた。ロムルスの共同王であったティテゥスは、その座についてまもなく亡くなっていた事もあり、サビーニ人達は譲らなかったのだ。
散々揉めた政争の終着点として、当時、人格者として知名度の高いサビーニ人の賢人ヌマが次代の王に選任されることとなった。
ヌマは、そもそもサビーニ人がローマと同化した際、ローマに移らずに父祖の地に残っていた一人であった。それ故、ローマ元老院からの要請に対して、首を縦には振らなかったという。しかし、度重なる要請により、遂にヌマをローマに向かわせた。
当時、四十歳でローマ王となった彼は、建国してまだ歴史のない荒くれ者揃いの国家に、秩序と法律を整備する事で安定をもたらした。
ヌマの活動は、暦の改革、宗教の改革、神官組織の整備などが挙げられるが、その43年における治世において一度も戦争が行われなかったことは、その気質を表していると言える。
ヌマの穏やかな治世が終わりを告げた後、三代目の王となったのはラテン人のトゥルス・ホスティリスである。内政が充実した時代を得て、彼は拡大に乗り出す。
ラテン人の母都市でもあり、ローマに縁も深い都市国家アルバ・ロンガを破り、住民をローマへ移住させたのもトゥルスであった。
五代目に至り、その王権はエトルリア人、タルクィニウス・プリスコにわたる。彼は比較的容易に得られるローマ市民権を得るため、一族郎党を引き連れて住み着いた異邦人であった。財力のあったタルクィニウスは、着実にその力を蓄えていき、四代目の王アンクスの死後、自ら王に立候補する。
市民集会で演説し、その後押しを受けた彼は、元老院においても無事に承認を得て、王位に着いた。
彼の時代、ローマはより一層充実し、拡大される。元老院議員も百人から二百人に拡張した。既にローマの七つの丘全てに住民が居住しており、さらなる拡大のため、丘の合間に広がる湿地帯の大干拓事業が行われ、そこにエトルリア人の高い技術力がつぎ込まれた。
ローマの中心ともいえるフォロ・ロマーノが成立したのはこの時代とされている。
国家にも生命力があり、この時代の王政ローマはまさに、溢れんばかりの活力に満ちていたといえる。
だが、紀元前509年、王政ローマは七代ルキウス・タルクィニウス・スペルブスの治世を最後に崩壊する。傲慢王と呼ばれるタルクィニウスは民衆によって追放され、ローマは共和制へ移行したのだ。
■用語
・王政ローマ
紀元前753年から紀元前509年の間、七代の王によって統治された
都市国家。最後の王、傲慢王タルクィニウスが民衆により追放され、
王政ローマは共和制ローマへと変貌を遂げる。
・都市国家アルバ・ロンガ
ラテン人の母都市であり、ローマの母体でもあった。
ローマの三代王トゥルスによって滅ぼされ、名実共にその座を
ローマへ譲る事となった。
・港町オスティア
テヴィレ河口に存在した港町。
第1章:シチリア騒乱 第1話
Author: 遼進 / ローマ。
紀元前753年、この小さな都市国家がイタリア半島中部に誕生した時代は、ギリシア人の都市国家郡が繁栄している時代でもあった。その旺盛な活動により、既にイタリア南部を始め、地中海沿岸各地に植民都市を建国しており、これらは総称して「マグナ・グラエキア(大ギリシア)」と呼ばれている。
ローマの北方に目を向けると、こちらも大きな勢力が存在する。
イタリア半島北方のアルノ河からテヴィレ河を南端までを勢力範囲として、十二の都市国家で連邦を構成するエルトリア人である。彼らはイタリア中部に存在する鉱山を活用する技術力をもって、その存在を強く示していた。
また地中海を支配するのは、北アフリカの都市国家カルタゴを拠点とするフェニキア人たちであった。彼らはその航海技術によって覇を唱えていた。
地中海世界を舞台とし、これら実力を持った都市国家郡が拡大を続ける中で、王政ローマは貧しい後進国家として歴史に姿を表した。ならず者三千人によって建国されたローマが、この状況で存在することを許されたのは貧しさ故であった。力で奪ってもなんら利益を得られないため、ただ放置されていたのである。

そのどうにもならない閉塞感の中、当のローマにあまり悲壮感は感じられない。彼らは今を生きることに精一杯であり、夢中であったのかも知れない。
そんな彼らの最初の問題は、女性問題であった。
ならず者三千人で建国した国家には、そもそも若い女性が圧倒的に不足していたのである。
建国早々、早くも王政ローマ存続の危機を迎えた建国王ロムルスは一計を案じ、近隣に住むサビーニ人たちを祭りに招待する。
家族総出で訪れていたサビーニ人たちが祭りの中で油断した頃合、ロムルスの号令でローマの男たちは一斉にサビーニ人の若い女性に襲いかかった。不意をつかれたサビーニ人たちは抵抗するも力及ばず、娘らを奪われて逃げ帰るしかなかった。
当然、サビーニ人たちは建国王ロムルスに奪った娘たちを返還するよう要求した。が、ロムルスは「既に皆、我がローマの男たちと結婚した」と驚愕の回答をよこし、まるで取り合わない。サビーニ人の王ティトゥス・タティウスは戦争を決意し、男たちは娘たちを取り戻すべく武器を手に取った。
ローマ人とサビーニ人の戦いは都度4回行われ、ローマ人が優位に立っていたという。その4回目の戦いにおいて、ローマ人にさらわれていた娘たちが戦いに介入する。彼女らは、ただ攫われていたのではなく、妻として大事にされてもいたのだ。
彼女らは、既にローマの男たちに十分な愛情を抱いていたので、夫と家族が殺しあう姿を見ていられなかったのだ。
かくして、ローマ人とサビーニ人たちは矛を収めた。
サビーニ人の王は、以後の共存をロムルスに伝えたが、ロムルスは驚くべき提案を行った。
その提案は、やがて弱小の都市国家ローマを一大強国へと変貌させる一歩であったともいえる。サビーニ王ティトゥスは、その提案を受け入れた。
かくして、サビーニ人は全員七つの丘の一つであるクィリナーレの丘に移住してローマ人となり、サビーニ人の王ティトゥスは、ロムルスと共にローマを統治する共同王となったのだ。それは、併合ではなく合併といえる。彼らは支配者と被支配者の関係ではなく、ローマ人同様の市民権が与えられた。
■登場人物
・ロムルス
都市国家ローマの建国王。
・ティトゥス・タティウス
サビーニ人の王。ローマ王ロムルスのだまし討ちにあい、
一族の若い娘たちをローマ人に奪われた。
■用語
・都市国家ローマ
ラテン人三千人によって建国された弱小国家。
・マグナ・グラエキア(大ギリシア)
ギリシア人による植民年国家(ポリス)郡を総称して呼称する言葉。
・都市国家カルタゴ
フェニキア人たちの都市国家。北アフリカに位置し、
地中海の海運を一手に引き受けている。
双子のお茶会《第1回》
Author: 遼進 /弟 :「レムスとぉ~」
兄 :「ロムルスの!」
双子:「双子のお茶会のコ~ナ~」
弟 :「さて今回は、序章全7話をお読み頂いた読者の皆様に、作中で一言しか喋れなかったこのレムスが、ちょっと為になるローマの歴史をお届けします! って、扱い酷いよ、兄さん・・・」
兄 :「しょうがないだろう。俺だって嫌だったが、お前が中途半端に仕掛けた結果だ」
弟 :「そうだけどさ、兄弟なんだから殺さずに対処しようよ・・・」
兄 :「歴史変わるから無理だ」
弟 :「もう、兄さんは融通が利かないよね、ホント」
兄 :「もういいだろ。それより本筋に戻ろう」
弟 :「しょうがないなぁ。それじゃローマの歴史について振り返るね」
弟 :「ローマは紀元前753年、建国王であるロムルス、つまり兄さんが建国したんだよね」
兄 :「そうだ。俺たち双子の顛末は作中の通りで、パラティーノの丘を我が故郷とした」
弟 :「パラティーノの丘。そういえば、本文中で間違いがあったよね、兄さん」
兄 :「その通り。実は第1話の『テヴィレ河口の緑深い七つの丘を故郷と定め~』という記述は、大間違いだ」
弟 :「地図で見てもテヴィレ河口からだいたい25km程離れているよね」
兄 :「作者は勘違いをしていたようだ。途中で気づいたが掲載後だった為、放置していたようだ」
弟 :「仕方ない作者だね。僕らがこの場をかりて訂正の上、お詫びいたします」
兄 :「なお、この時点でオリンピア競技会は既に6回も開催されている」
弟 :「オリンピックの原形だね。この時も4年に1回のペースで開催されていたよね」
兄 :「記録では紀元前776年が始めてだったようだ。以降4年ごとだと計算はあう」
弟 :「話を戻すと、ローマ建国当時、兄さんは18歳だったよね。僕の死んだ年でもあるけど・・・」
兄 :「弟をこの手にかけた結果、三千人も養わなければならなくなった俺の気持ちは分かるまい」
弟 :「でも、実際どうやって国を治めたの?」
兄 :「王といっても俺一人では、知識も経験もない。だから長老達を集めて、俺に助言をしてくれる『元老院』を作った」
弟 :「元老院は、各家門の長が議員になったんだよね。当時は100人で構成されていて、『パーテル』と呼ばれていたと聞いたよ」
兄 :「そうだ。『建国の父』という意味だ。後に貴族のことを『パトリキ』というのはこの言葉に由来する」
弟 :「そうなんだ。それから、他に決めたことは?」
兄 :「王は市民集会の投票で選ぶことにした。俺も、皆が力を貸してくれたから王になっただけだからな」
弟 :「えっ? 投票で?? 兄さんの子供が王になるんじゃないの?」
兄 :「市民集会で俺の子が王に相応しいと認められたらな。だが、そうはならなかったようだ」
弟 :「王様が偉いはずなのに、これじゃ偉くないよ・・・」
兄 :「王は軍事と政治、あと祭事を生涯担当する。市民集会はローマ市民全員で構成し、王や政府の役職者を選出する。他にも王の政策を承認または否認する。それは戦争の開始と講和も同様だ」
弟 :「つまりローマは王と元老院、それと市民集会で成り立ってるんだね」
兄 :「皆の協力で俺たちは国をつくった。作った後も、皆の力が必要だった」
弟 :「なるほどね。僕だったら選ばなかった道だけど、兄さんらしいよ」
兄 :「それでも、最初は大変だったがな」
弟 :「それは後々聞いていく事にするね。それでは、今回はここまでだね」
兄 :「時間はある。ゆっくりと語っていこうか」
弟 :「皆さん、ここまでお付き合い頂きありがとうございます。次回からは第1章、つまり本編に入ります」
兄 :「これから俺の大活躍をお見せする」
弟 :「いいよね、兄さんは。では皆さん、今後も宜しくお願いします~」
