第1章:シチリア騒乱 第2話

Author: 遼進 /


 市民権が与えられるということは、私有財産の保持し、市民集会に対する投票権含め、ローマ市民と同じ権利を持つことである。つまり、ローマ市民となる事を意味する。サビーニ人の長老達には元老院の議席も与えられたのだから、もはや双方の扱いに違いなどなかった。
 この時代、戦争に勝利した側は、相手の都市を略奪し、敗者を奴隷にすることは当然の権利でもあった。それ故、この処置は異質と言える。しかし、当時のローマが置かれた情勢を考えれば、弱小国家の勢力拡大の為のやむない選択であったといえる。
 だが、ローマは以後もこの方針をとり続け、結果、ローマは強大化し続けていく事となる。

 建国王ロムルスの没後、ローマの王権は元老院内のラテン人派閥とサビーニ人派閥によって争われた。ロムルスの共同王であったティテゥスは、その座についてまもなく亡くなっていた事もあり、サビーニ人達は譲らなかったのだ。
 散々揉めた政争の終着点として、当時、人格者として知名度の高いサビーニ人の賢人ヌマが次代の王に選任されることとなった。
 ヌマは、そもそもサビーニ人がローマと同化した際、ローマに移らずに父祖の地に残っていた一人であった。それ故、ローマ元老院からの要請に対して、首を縦には振らなかったという。しかし、度重なる要請により、遂にヌマをローマに向かわせた。
 当時、四十歳でローマ王となった彼は、建国してまだ歴史のない荒くれ者揃いの国家に、秩序と法律を整備する事で安定をもたらした。
 ヌマの活動は、暦の改革、宗教の改革、神官組織の整備などが挙げられるが、その43年における治世において一度も戦争が行われなかったことは、その気質を表していると言える。
 ヌマの穏やかな治世が終わりを告げた後、三代目の王となったのはラテン人のトゥルス・ホスティリスである。内政が充実した時代を得て、彼は拡大に乗り出す。
 ラテン人の母都市でもあり、ローマに縁も深い都市国家アルバ・ロンガを破り、住民をローマへ移住させたのもトゥルスであった。

そして四代目のサビーニ人の王、アンクス・マルキウスは周辺地域を「ローマ化」し、その勢力はテヴィレ河口にあった港町オスティアを征服し、遂に地中海に到達する。

 五代目に至り、その王権はエトルリア人、タルクィニウス・プリスコにわたる。彼は比較的容易に得られるローマ市民権を得るため、一族郎党を引き連れて住み着いた異邦人であった。財力のあったタルクィニウスは、着実にその力を蓄えていき、四代目の王アンクスの死後、自ら王に立候補する。
 市民集会で演説し、その後押しを受けた彼は、元老院においても無事に承認を得て、王位に着いた。
 彼の時代、ローマはより一層充実し、拡大される。元老院議員も百人から二百人に拡張した。既にローマの七つの丘全てに住民が居住しており、さらなる拡大のため、丘の合間に広がる湿地帯の大干拓事業が行われ、そこにエトルリア人の高い技術力がつぎ込まれた。
 ローマの中心ともいえるフォロ・ロマーノが成立したのはこの時代とされている。

 国家にも生命力があり、この時代の王政ローマはまさに、溢れんばかりの活力に満ちていたといえる。
 だが、紀元前509年、王政ローマは七代ルキウス・タルクィニウス・スペルブスの治世を最後に崩壊する。傲慢王と呼ばれるタルクィニウスは民衆によって追放され、ローマは共和制へ移行したのだ。

■用語
 ・王政ローマ
  紀元前753年から紀元前509年の間、七代の王によって統治された
  都市国家。最後の王、傲慢王タルクィニウスが民衆により追放され、
  王政ローマは共和制ローマへと変貌を遂げる。
 ・都市国家アルバ・ロンガ
  ラテン人の母都市であり、ローマの母体でもあった。
  ローマの三代王トゥルスによって滅ぼされ、名実共にその座を
  ローマへ譲る事となった。
 ・港町オスティア
  テヴィレ河口に存在した港町。

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