ローマ。
紀元前753年、この小さな都市国家がイタリア半島中部に誕生した時代は、ギリシア人の都市国家郡が繁栄している時代でもあった。その旺盛な活動により、既にイタリア南部を始め、地中海沿岸各地に植民都市を建国しており、これらは総称して「マグナ・グラエキア(大ギリシア)」と呼ばれている。
ローマの北方に目を向けると、こちらも大きな勢力が存在する。
イタリア半島北方のアルノ河からテヴィレ河を南端までを勢力範囲として、十二の都市国家で連邦を構成するエルトリア人である。彼らはイタリア中部に存在する鉱山を活用する技術力をもって、その存在を強く示していた。
また地中海を支配するのは、北アフリカの都市国家カルタゴを拠点とするフェニキア人たちであった。彼らはその航海技術によって覇を唱えていた。
地中海世界を舞台とし、これら実力を持った都市国家郡が拡大を続ける中で、王政ローマは貧しい後進国家として歴史に姿を表した。ならず者三千人によって建国されたローマが、この状況で存在することを許されたのは貧しさ故であった。力で奪ってもなんら利益を得られないため、ただ放置されていたのである。

そのどうにもならない閉塞感の中、当のローマにあまり悲壮感は感じられない。彼らは今を生きることに精一杯であり、夢中であったのかも知れない。
そんな彼らの最初の問題は、女性問題であった。
ならず者三千人で建国した国家には、そもそも若い女性が圧倒的に不足していたのである。
建国早々、早くも王政ローマ存続の危機を迎えた建国王ロムルスは一計を案じ、近隣に住むサビーニ人たちを祭りに招待する。
家族総出で訪れていたサビーニ人たちが祭りの中で油断した頃合、ロムルスの号令でローマの男たちは一斉にサビーニ人の若い女性に襲いかかった。不意をつかれたサビーニ人たちは抵抗するも力及ばず、娘らを奪われて逃げ帰るしかなかった。
当然、サビーニ人たちは建国王ロムルスに奪った娘たちを返還するよう要求した。が、ロムルスは「既に皆、我がローマの男たちと結婚した」と驚愕の回答をよこし、まるで取り合わない。サビーニ人の王ティトゥス・タティウスは戦争を決意し、男たちは娘たちを取り戻すべく武器を手に取った。
ローマ人とサビーニ人の戦いは都度4回行われ、ローマ人が優位に立っていたという。その4回目の戦いにおいて、ローマ人にさらわれていた娘たちが戦いに介入する。彼女らは、ただ攫われていたのではなく、妻として大事にされてもいたのだ。
彼女らは、既にローマの男たちに十分な愛情を抱いていたので、夫と家族が殺しあう姿を見ていられなかったのだ。
かくして、ローマ人とサビーニ人たちは矛を収めた。
サビーニ人の王は、以後の共存をロムルスに伝えたが、ロムルスは驚くべき提案を行った。
その提案は、やがて弱小の都市国家ローマを一大強国へと変貌させる一歩であったともいえる。サビーニ王ティトゥスは、その提案を受け入れた。
かくして、サビーニ人は全員七つの丘の一つであるクィリナーレの丘に移住してローマ人となり、サビーニ人の王ティトゥスは、ロムルスと共にローマを統治する共同王となったのだ。それは、併合ではなく合併といえる。彼らは支配者と被支配者の関係ではなく、ローマ人同様の市民権が与えられた。
■登場人物
・ロムルス
都市国家ローマの建国王。
・ティトゥス・タティウス
サビーニ人の王。ローマ王ロムルスのだまし討ちにあい、
一族の若い娘たちをローマ人に奪われた。
■用語
・都市国家ローマ
ラテン人三千人によって建国された弱小国家。
・マグナ・グラエキア(大ギリシア)
ギリシア人による植民年国家(ポリス)郡を総称して呼称する言葉。
・都市国家カルタゴ
フェニキア人たちの都市国家。北アフリカに位置し、
地中海の海運を一手に引き受けている。