第1章:シチリア騒乱 第5話

Author: 遼進 /

 ローマは共和制へと移行した。
 共和制となったローマの統治機構は、大きく改革されることとなったが、基本ともいえる元老院と市民集会の在りようは変わらなかった。ただ、元老院は権威を強化するため、元老院議員を二百名から三百名に増員し、新興勢力の有力な家門の長が任命された。市民集会では、市民が選出するのは王ではなく、執政官となったことである。
 ローマ市民は、一人の権力者に人生の大半を振り回されることに嫌気がさしていたのだろう。専横を抑止するため、執政官は2名とされ、その任期もわずか1年とされた。
 市民集会によって選出された2名の執政官は、元老院の助言を得て1年の任期の間、ローマの施政を執り行う。戦争の場合には、執政官がそれぞれ軍の指揮官となって戦った。

 こうして新しい衣を纏って生まれ変わったローマは、新たな未来に向かって進み始めるのだが、その行く末は順風満帆とはいえなかった。
 共和制が成立した時点で、いくつかの大きな難題が表面化したのだ。
 国内に目を向けると、ローマの国力が一時的な衰退期に入ってしまっていた。エトルリア人であったタルクィニウス王を追放したことで、ローマ国内の技術力を支えていたエトルリア人勢力が減衰してしまった事が直接的に影響したのだ。
 国力の衰退は、近隣諸国との同盟「ラテン同盟」にも亀裂を与える。その力で持って盟主の座を占めていたローマの衰えに、同盟諸国はその野心を隠さなかったことで国外の情勢はきな臭くなった。さらに、北方のエトルリア人都市国家郡との対立が明確化してしまう。
 また、積極的にローマを狙う勢力も存在していた。追放されたタルクィニウス王は、エトルリア都市国家の後押しを得て、ローマ王への復権を狙っていたのだ。

■用語
 ・共和制ローマ
  紀元前509年のタルクィニウス王追放により成立。イタリア中部の都市国家
  から始まり、次第に周囲をローマ化して拡大していく。
 ・執政官(コンスル)
  共和制ローマの元首。市民集会によって2名が選出される。平時は内政の
  最高責任者として政務を行い、戦時は軍団の最高指揮官として軍務を
  掌握し、戦場においても直接指揮を執った。
 ・元老院
  執政官の諮問機関として、ローマ建国時からの名家や有力者の家長により
  構成される。当初は100名であったが、王政期間中に200名に増員され、
  共和制開始時に300名となった。実際は、外交や財政などの決定権を
  掌握しており、実質的な統治機関として存在した。

Powered by Blogger.