第1章:シチリア騒乱 第6話

Author: 遼進 /

 共和制ローマを取り巻く周辺地域との確執は、冬の嵐の如く容易には晴れぬ暗雲となってローマ市民の未来に立ちはだかる試練となった。しかし、国家滅亡へ誘う死神の息吹とはならなかった。
 国家にも生命力がある。
 一時的な衰えを見せたとはいえ、死に至る病ともいえた王者の腐敗を自ら切り捨て、新たな政治活力を手にしたローマは、今や若者の如き気力に満ちた瑞々しい活力を持っていたといえるだろう。国の内外に山積された諸問題に対しても、有能な執政官が、賢者の如き元老院が、そしてそれらを支えるローマ市民達が一丸となって乗り越えていくだろうと思わせる力があった。


 そして、戦いが始まる。
 紀元前498年、ローマから追放された傲慢王タルクィニウスがエトルリア人のバックアップを得て、ラテン同盟諸国を率いてローマへと襲い掛かる。
 第一次ラテン戦争と呼ばれるこの戦いは、紀元前496年、ローマ近郊のレギルス湖畔において共和制ローマ軍と傲慢王タルクィニウス率いるラテン諸国の決戦を迎える。
 ラテン諸国軍は緒戦において負傷したタルクィニウス王に変わり、前面に都市国家トゥスクルムの王子であるマミリウスと、傲慢王タルクィニウスの息子、セクストゥスが指揮官となってローマ軍と対峙する。
 一方のローマ側は、国家存亡における緊急時として、一時的に権限が強化された独裁官に任命されたアウルス・ポストゥミウス・アルブスと、その補佐である騎兵長官ティトゥス・アエブティウス・エルウァが迎え撃つ。
 両者の激突は、ローマ側のタルクィニウスへの憎悪によりローマ優勢で推移するものの、マミリウス王子により騎兵長官アエブティウスが胸に傷を負ったことで騎兵部隊が一時統制を失った。
 その期をラテン諸国軍は見逃さない。追放されたローマ人で構成されたタルクィニウス王率いる奇襲部隊が、ローマ軍後方より襲い掛かり、執政官経験のある指揮官を討ち取る事に成功する。後方からの同族による奇襲により、混乱状態に陥ったローマ軍であったが、独裁官ポストゥミウスは近衛の兵と下馬させた騎兵部隊を持ってタルクゥニウスを迎撃し、撃退に成功する。
 激戦の末、ラテン諸国軍は打ち払われた。
 傲慢王タルクィニウスは、落ち延びる事には成功したものの、翌紀元前495年、レギルス湖畔の戦いで追った傷が癒えず逃亡先で亡くなった。
 ラテン諸国との散発的な戦いは以後も続いたが、紀元前493年に停戦を迎える。
 その後も共和制ローマは、エトルリア、サムニウム、そしてラテン諸国との二度三度にわたる戦争が繰り広げられる。そして勝利するたびに、戦争相手の市民をローマ市民へと吸収し拡大し続けていく。結果、イタリア半島のほぼ全域が共和制ローマの統治下に治まることとなった。

 そして時は流れて、紀元前265年。
 共和制ローマは初めて海を越える事になる。
 

■用語
 ・独裁官
  共和政ローマの公職。あらゆる領域に及ぶ強大な権限を有する政務官
  であり、国家の非常事態に1人だけ任命された。独裁者の語源でもある。
  なお、その任期は半年であった。
 ・第一次ラテン戦争
  紀元前498年から493年の間にラテン諸国との間に行われた戦争。
  この勝利によりローマはラテン同盟における支配的な立場を得る。

■登場人物
 ・ ルキウス・タルクィニウス
   傲慢王とあだ名され、ローマを追放された七代ローマ王。エトルリア人。
 ・ セクストゥス
   ルキウス・タルクィニウスの息子の一人。彼の行動が市民の怒りを買い、
   一族を追放へと導く事となった。第一次ラテン戦争の決戦地、レギルス
   湖畔の戦いにおいて一軍を率いてローマ軍と相対するが、敗退する。
 ・ アウルス・ポストゥミウス・アルブス
   第一次ラテン戦争時、独裁官に任じられた。レギルス湖畔の戦いに
  勝利したあと、ローマにて凱旋式を挙げ、レギッレンシスの尊称を得た。
 ・ ティトゥス・アエブティウス・エルウァ
   独裁官に任じられたポストゥミウスの補佐官職である騎兵長官に
   任じられた。
   レギルス湖畔の戦いの最中、胸に重症を負うが、生還。ポストゥミウスと
   共にローマで凱旋式を挙げる。

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