第1章:シチリア騒乱 第8話

Author: 遼進 /

 ヒエロン2世とマメルティニの戦いは、紀元前269年から始まる。
 もともとヒエロン2世は、元の主君であったエピロス王ピュロスに従い、シチリア島へ侵攻した将軍であった。

 ピュロス王は紀元前279年、イタリア半島にて繰り広げていた共和制ローマとの半島南部における勢力争いを行っていたが、限界を迎えつつあった。結果、戦争には勝利するものの、エピロスから付き従っていた親しい配下の多くを亡くし、撤退を決意したタイミングで同じマグナ・グラエキアを構成するシラクサからの救援要請を受ける。
 このとき、シラクサはカルタゴの襲撃を受けており、同族のエピロス王ピュロスに救援を求めたのだが、ピュロス王の消えかけていた野心という名の炎に再び枯れた材木を投じるかの如く、新たな侵略候補を与えただけであった。
 エピロス王ピュロスは、その軍勢を共和制ローマから転じて海を渡る。野心の王は、シラクサを攻囲していたカルタゴ軍に対して襲い掛かり一蹴すると、その勢いのままシチリア北西の都市マルサーラを除くカルタゴ支配地域を1年で制圧し、カルタゴ側に属していた諸都市をすべて離反させることに成功した。
 シラクサからの依頼を発端としてシチリアからカルタゴ勢力を駆逐したピュロス王は、その野心を露にしてシチリア王を自称し、カルタゴとの終戦協定に乗り出したのだが、ここで躓くことになる。
 その驕慢さが、シラクサに居住するギリシヤ人達に専横的な振る舞いとして非難され、シチリアからの退去を求める暴動を起こすこととなった。野望の王は、シチリアの統治の可能性を見失ったのだ。
 シラクサ市民の要求に応じて、失意のうちに帰国する事となった彼の前に、今まで共に戦ってきた将軍の一人、ヒエロンが現れる。
 「我が主よ。今ここに王の御前から離脱する事をお許し願いたい」
 「なぜだ、ヒエロン。共に戦い、そして生き長らえたというのに」
 「シラクサの市民が怯えております。彼らには、我が主が去った後に訪れるであろうカルタゴの再侵攻から身を守る術がありませぬ」
 「そうか。それがお主の本心とは思えぬが、それもよかろう。許す」
 紀元前275年、野心に身を焦がした王ピュロスはシチリアから去り、そしてヒエロンはシラクサの将軍として残った。

 ヒエロンがシラクサに残った答えは、彼自身の野心もあるには違いなかったが、本質は別にあった。
 シラクサの有力市民の娘と恋に落ちていたヒエロンは、その恋心を娘の父に利用されたのだ。ピュロス王退去後のシラクサを守るため、娘の父は市民と語らってヒエロンを引き止めた。
 ヒエロンは長年の主ピュロス王と袂を分かち、シラクサの将軍として娘を娶り、その地盤を固めた。

■ 用語
 ・ 共和制ローマとピュロス王の戦い
  イタリア半島南部のマグナ・グラエキアを構成する都市国家ターラントの
  ローマからの干渉に対する反発から、エピロス王ピュロスに支援を要請
  した事に端を発する一連の戦争。紀元前282年から275年の間続いた。
  終始戦闘はピュロス王が優勢であったが犠牲も多く、後に割に合わない
  勝利を「ピュロスの勝利」と呼ぶ。
 ・ シラクサ
  シチリア島南東部に位置する都市国家。
 ・ カルタゴ
  地中海の覇者として、広大な通商路を開拓し、そこを通って富や人が
  行き来する海運国家。カルタゴは商業の中心地でもあった。

■ 登場人物
 ・ ヒエロン2世
  シラクサの僭主。もともとはシチリアを侵略しにきたマケドニア王ピュロス
  の将軍であったが、ピュロス王のシチリア退去時にシラクサ市民から
  請われ、ピュロス王の了承のもとでシラクサに残留した。
  後にシラクサの有力者の娘を娶り、その勢力地盤を固め、市民の
  承認を得て僭主となった。
 ・ ピュロス王
  エピロス王。アレクサンドロス大王の戦術の後継者として評価され、
  戦術のみならず、彼の大帝国を継承するべく野望を持って戦争を
  繰り返した。
  イタリア半島での共和制ローマとの戦い、シチリア島でのカルタゴとの
  戦いには勝利するも実益が得られなかったが、その後のマケドニアとの
  戦いではマケドニア王アンティゴノス2世を追放し、マケドニア王を名乗る。
  しかし・・・。


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